8月13日~16日のお盆の間、夕方になると家々の前では、お盆の迎え火が焚かれます。
8月15日の深夜24時、16日に日付が変わる頃、ナスの牛に乗って仏様があの世に帰られます。盆茣蓙(ござ)に、お米、野菜などの食べ物とお花を包んで、無縁仏様と共に送ります。「家に来るときは、早く来られるようにキュウリの馬に乗って来て、あの世に帰るときはゆっくりとナスの牛に乗って行く。」と父が教えてくれました。少しでも長く故人と家族が過ごせるように。
家ごとに仏様を送る場所は決まっています。近くの小川のほとりで、盆茣蓙に包んできたお供え物とともに、松明を焚いて、線香を供え、お経を唱えます。「ナンマイダー ナンマイダー ナンマイダーブツ ナンマイダ。ナンマイダーブツ ナンマイダーブツ ナンマイダ。」これを鉦に合わせて3回繰り返します。(今年は豪雨の為、家の庭で行いました。この写真は令和2年8月15日のものです。)
8月17日未明は、踊り神送り(市神様)と新盆の新仏様の送りが行われました。通常は、盆踊りによって盛大に送られるのですが、今年は新型コロナウィルス感染拡大の為、神事のみが執り行われました。これは市神様へのお供え物です。
本町の市神様 8月13日撮影
送りの行列の先頭になる灯篭には、御幣がつけられます。お盆の行事は仏教の行事なのでカラフルな灯篭の飾りなのに、神道の白い御幣を付けるのです。ちなみに神道の家の灯篭は、色紙を使わず白い中折で飾られています。仏教・神道・その他どんな宗教の家の御霊も希望があれば、平等に送ります。
17日朝4時30分。本町の市神様では御岳教行者によって、祝詞、和讃の神事が行われた後、新盆の仏様の灯篭を家族が担ぎ、砂田のお太子様へ向かいます。音頭取りの世話人と神事係は鉦と太鼓に合わせて「ナンマイダンボ ダンボ ダンボ」と言いながら進みます。お太子様でも祝詞、和讃の神事が行われた後、花火の合図で、寺山の瑞光院参道入り口にある「十王堂」(通称:ジョウド)と呼ばれる広場へ向かいます。神送りの行列が通過した後は、「能登」を踊る事は許されません。いつもなら、この「能登」をもっと踊りたい踊り子と、神送りの行列の攻防があり、盆踊り会場の旧道を通過するのに1時間程度かかるのですが、今年は踊り子もいなく、粛々と通過して、十王堂に到着しました。
神事係によって、太い青竹で新仏様の灯篭がバキバキと音を立ててつぶされていきます。この音を聞くと、故人の御霊ともいよいよお別れという気持ちになります。私には、納棺の時の白黒の水引を引きちぎる音とと重なりました。最後に、先頭の新仏様の灯篭がおかれ、御岳教行者により神送りの儀式が行われます。九字※を切り、短刀を灯篭に切りつけると花火が上がり、その音と一同の「わー」という声で、東方の浄土へ踊り神様と新仏様を送ります。その送る方向(東)に立っていると「踊り神様にとり憑かれるぞ。1年間ずっと踊っとらんといかんぞ。」と怒られたものです。
※九字(くじ)は、道家により呪力を持つとされた9つの漢字臨兵闘者 皆陣列在前、読みはりん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん。意味は「臨む兵、闘う者、皆 陣列べて(ねて)前に在り」。(ウィキペディアより)
提灯のろうそくで、火がつけられると、小雨にも関わらず一気に燃え上がりました。その炎が天高く昇っていきました。まるで仏様があの世に帰っていくようでした。
帰り道は、「秋歌」を歌いながら、決して振り向かずに帰ります。
♪秋が来たそうで 鹿さへ鳴くに。 なぜか、紅葉が色づかぬ。
(返し)来たそうで 鹿さへ鳴くに。 なぜか、紅葉が色づかぬ♪
♪盆よ盆よと 楽しむうちに。 いつか、身に染む 空きの風。
(返し)盆よと 楽しむうちに。 いつか、身に染む 空きの風。
♪稲は穂に出て ちょいと花かけて。 さらり、乱れて秋の空。
(返し)穂に出て ちょいと花かけて。 さらり、乱れて秋の空。
8月17日 新野高原の田んぼの稲は、花が咲いて、稲穂が垂れ始めていました。気温は20℃小雨の降る中、秋風が吹いています。自然はいつもの年と同じ営みを繰り返していました。信仰と自然とともにある暮らしが、今も大切にされている新野高原です。
来年こそは、コロナが終息し、今まで通りの「新野の盆踊り」ができることを祈りました。また、こんな状況だからこそ、力を合わせて知恵をしぼって困難を乗り越えていかなくてはならないと思いました。
文責:金田信夫(新野から☆元気にしまい会 事務局)